今日までの備忘録(1)

2021.1.29
父の大腸癌が見つかる

父はもともと東京下町で鉄骨屋をしており、いつも現場に行って
溶接する仕事が多かったが、野外の仕事や移動が辛そうなので
もともと構想していた
工場でものづくり(1案として焙煎機)しないかと本気で提案する


2021.6.18
父がん手術成功
抗がん剤治療中も点滴しながらステーキ屋さんに行って
ステーキとテキーラを楽しむくらい元気に病気と戦っていた


2021.8.20
父救急車で運ばれる
体力は相当消耗している中
頑固に現場で炎天下の仕事を続けていた
そんな時にコロナに感染し
救急車で一晩過ごすほど受け入れ先が見つからない

軽症患者のみ受け入れ可能な病院が見つかり
本人はいたって元気だと明るく搬送されて行った


2021.8.23
父死亡


2021.8.24
車椅子テニス選手として弟荒井大輔パラリンピック開会式

父の写真を持って開会式に入場

2回戦目で惜しくも敗退

その後、弟の帰りを待って家族葬

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たくさんたくさん悩んで
父のものづくりの意思を継いで
焙煎機メーカーになる決意をする!
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2021.11.5
TYPICAのインタビューで焙煎機の話を初めてメディアに宣言する


2021.12.6
蔵前で尊敬する金属のデザイナーALLOYのゆうとさんに焙煎機デザインの相談


2021.12.7
相続放棄をやめることを決意
「やっぱやめんのやめました!」
ものづくりの意思だけついで
会社と家は手放そうとしていただが、毎晩悪夢にうなされ
茨の道を選ばない人生では後悔すると思い相続放棄をやめて
全部背負って頑張る決意をする!


2021.12.19
福岡糸島に住む某コーヒーマシンのエンジアさんを紹介していただく機会ができ
弾丸福島へ
珈琲好きな九州大学の教授と古い友人の別府くんとキャンピングカーの旅
エンジニアさんの名言

「日本人はコミュニケーションもできないし、技術レベル下がってるし、高いから今は台湾で作ってる。」
「ガス焙煎がいいと思い込んでいるのは、日本人だけ。秘伝のタレみたいなもん」
「エンジニアじゃない人が作ったものでいいもの見たことない」
忘れたくないのでしっかり記憶と記録に残して乗り越えたいと思います。


2022.1.3
STANDART寄稿依頼がくる

よくよく聞くとTYPICAさんのインタビューなどを見て声をかけてくださったそうでした。
とにかく光栄すぎるご依頼に興奮して困惑して暴れ回った末に依頼を受けることに。
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